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小津安二郎と蒲田周辺のロケ地探索変遷小話

鍋谷孝

 

私が、小津安二郎監督の作品に、蒲田周辺がロケ地になっていると知ったのは、2004年でした。南久が原にある昭和のくらし博物館に出入りしていた頃でした。

 

個人的に「蒲田モダン」地区を調べていた私は、博物館で、小津安二郎を研究している元大学教授O先生と出会いました。O先生は、早期に教授を退官。箱根山中で研究三昧という自由な精神を持つ先生でした。

 私は、博物館の和室でO先生に蒲田モダン地区のことを話すと、

「鍋谷さん、なら、小津やんなきゃ。戦前の蒲田なら小津だよ。まずは、生れてはみたけれど、見なきゃ。当時の蒲田がでてくるからね。」

私が「小津安二郎ですか?」

O先生「そうだよ。鍋谷さん、小津抑えてくれよ」

もともと映画のストーリーよりもロケ地探索を愛好していた私にとっては、願ってもないチャンスでした。学芸員の谷口こずえさん(現:小林さん)も交え、会話が進むうちに、博物館で、ロケ地検証の会をやることになったのです。

 

2004年に谷口さんが作成したイベントの案内メールです。(蒲田モダン研究会会員の田中隆さんが保管)以下引用します。


●特別企画!「小津映画に見る蒲田・久が原周辺」

 

 突然ですが、映画に登場する“蒲田・久が原周辺”を検証する会を開催することになりました。取り上げるのは昭和の小市民を描いたことで知られる小津安二郎監督の映画数本。きっかけは、先月行った「町のお医者さんを語る会」でのことでした。参加者の中にガラス工芸を中心に蒲田地区の昭和モダンの歴史を調べている方がいて、小津映画を研究している方がいて、昔から近辺に在住の方がいて。話しているうちに、これは皆の話を合わせていくと面白い歴史が浮かび上がってくるのでは!?ということで、今回開催の運びとなりました。

 

 上映して下さるのは、友の会の中西光雄さん。古典や唱歌の研究の他、小津映画を様々な角度から検証されています。戦前に松竹の撮影所が蒲田にあったことから、大田区はロケ場所として数回登場しているとのこと。この会を皮切りに、第二、第三回と、ご近所の歴史を掘り起していこう!というもくろみです。

 

 身近にどんな歴史が眠っているか想像するとわくわくしませんか?近隣の方もそうでない方も、ご参加お待ちしています!

以上


 このイベントをきっかけに、小津安二郎の松竹蒲田の作品がより身近になりました。

2008年8月、澤登翠さんの「生れては見たけれど」の長野県大町講演に追っかけも経験しました。やはり、小津の作品と蒲田や大田区との結びつきに関心が強くなります。 

その後、私は、2009年10月に蒲田モダン研究会で、「蒲田松竹小津安二郎から見る蒲田モダン地域」を発表します。しかし、専門的な知識もなく、なかなかロケ地が特定できませんでした。

 

そこで、建築や地形に造形が深い宮川達雄さんにロケ地の疑問を投げました。その後、宮川達雄さんは、小津安二郎の松竹蒲田作品と蒲田や大田区のロケ地研究を本格的に進めていきます。

 

宮川さんは2014年4月に小冊子「大人の解説本 光と影から見解く撮影場所 小津安二郎1932年作品 大人の見る繪本 生れてはみたけれど」を刊行しました。小冊子は、山田洋二監督へ献本し、ご本人から丁寧な礼状も届きました。

同年、4月研究会で、発表。5月には、区内撮影場所の街歩きを実施しました。小冊子の内容を抜粋したものは、2020年刊行した蒲田モダン研究会10周年記念誌にも掲載しています。(「大人の見る繪本 生れてはみたけど」 P116)

2020年、撮影所100周年を記念する蒲田映画祭で、「生れては見たけれど」のライブ演奏付き、弁士澤登翆さんの公演がありました。公演前に、私が聞き手で参加した片桐はいりさんのトークショーでは、「生れてはみたけれど」のロケ地について多く話されました。

 

片桐はいりさんとは、以前雑誌の仕事でお会いしたときに、小津安二郎のロケ地の話で意気投合して、それ以来のお付き合いです。片桐さんと出会い、ロケ地探索も映画の楽しみ方のひとつだと再認識しました。

2021年、蒲田モダン研究会のzoom例会では、宮川達雄さん解説の小津映画をメインとした蒲田周辺のロケ地探索を行っています。映画ロケ地探索愛好家として、コロナ禍が落ち着いたら、再び、昭和のくらし博物館で、宮川さんの発表ができたらと願っています。