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Cinema Kamata 映画の街 ・蒲田 の 100 年 。 共有しませんか?

-1920 年~ 2020 年 大正・昭和・平成・令和-

鍋谷 孝

 

昨年2020年は、松竹キネマ蒲田撮影所が開設されて100年の年でした。

 

私は、100年を記念した 第8回蒲田映画祭の片桐はいりさんのトークショーに聞き手として参加いたしました。

(第8回蒲田映画祭パンフレットより)

 

映画祭が終わったのち、映画という視点で、改めて蒲田の街を歩き、蒲田モダン研究会10年記念誌を再読し、蒲田映画祭10年史を読み、100年を振り返りました。

 

 

蒲田には、4つの映画の街の顔がありました。1.撮影所の街、2.映画館の街、3.映画ロケ地・題材の街、4.映画祭の街です。

 

1. 映画 撮影所 の 街 1920 年~ 1933 年 (大正9年~昭和 11 年)

 

松竹の創業者、大谷竹次郎は新たな事業を映画と定め1920 年(大正 9 年)蒲田駅東口に「松竹キネマ蒲田撮影所」を設立しました。スローガン「東洋のハリウッド」実現に向け、本場ハリウッドから人材招聘、俳優演技研究所創設、本格的映画専門女優の育成等数々の施策を打ち出しました。蒲田の街は撮影所によって活気を呈し村から町制へと発展を遂げました。

 

映画の コンテンツ は、 音楽 、 ポスター 、 ファッション 、 ヘアスタイル 、 雑誌 と 広がり、 「流行は蒲田から」の言葉も生 まれ ま した。 また、周辺にも黒澤商店工場、高砂香料、大倉陶園など新興産業が 設立 されました。

 

3代目の撮影所長、城戸四郎 は近代映画の確立を目指し更なる改革を進めていきました。

 

1. 監督を頂点としたチームとしての映画製作。(ディレクターシステムと名付けられ、現在の映画製作の基本となっている)

2. 大衆の心に安らぎと楽しさを与える映画つくりをモットーとする。これが松竹蒲田調と呼ばれ日本映画の一大潮流となっていった。

3. トーキー全盛を予見し自社システムを駆使した日本初の全編トーキー作品『マダムと女房』( 1931 年)製作し世界を驚かせた。

 

城戸四郎の下、のちに日本を代表する監督となった五所平之助、成瀬巳喜男、小津安二郎等 が数々の名画を蒲田で生み出していきました。 中でも小津安二郎の『大人の見る繪本生れてはみたけれど』( 1932 年)は戦前の日本映画最高傑作として、無声映画の芸術的昇華作品として、 内外で高い評価を得ています 。

 

蒲田撮影所時代の小津安二郎監督は、トーキー映画に抵抗し、撮影所移転の最後の作品を除いて無声映画にこだわり続けましたことも特筆すべき点です。

 

蒲田撮影所は事業の拡大を目指し1936年(昭和11年)大船に移転しましたが、16年間に年間に1,200作品以上もの映画を送り出し近代映画推進の一大原動力となり「キネマの天地」・蒲田として今に語り継がれています。

 

2.映画館の 街 1922年~2019 年 (大正11年~令和元年)

 

1922年(大正 11 年)、 松竹キネマ蒲田撮影所開設後に、映画館 「常設館」ができました。その後に蒲田電機館 、 蒲田旭館 と 映画館が街に生まれます。

 

太平洋戦争後、闇市の中から映画館は、復活します。

 

1950年(昭和 25 年)、 蒲田西口の商店街のお店が出資した映画館「テアトル蒲田」が誕生します。また、「常設館」は「パレス座」として再オープンしました。同年、 東口に も 、のちのミスタウンと呼ばれる映画街が生まれます。川崎を中心に映画街づくりを 展開した※実業家 美須鐄 氏によるものです。

 

高度経済期、蒲田の街は、活気にあふれます。蒲田周辺には、町工場が多く誕生。地方から「金の卵」と言われた青少年、少女がこの街で働きます。

 

経営者も事業拡大に走ります。ものづくりの大田区の原動力でもあった町工場の経営者、勤労者たち、その家族の娯楽も映画でした。日活、東映、松竹、東宝とそれぞれ好みの映画を楽しみます。映画のあとは、街の食堂、レストラン、喫茶店、居酒屋とそれぞれの好みの店で食事、あるいは、ショッピングを楽しむ。休日の蒲田の商店街は、活気にあふれていました。

 

蒲田生まれの私も、蒲田の映画 館で映画に出会い、映画と青年期をこの街で過ごしました。

 

しかしながら、シネマコンプレックスが隣町の川崎周辺の商業施設に誕生するのと反比例するように、蒲田の映画館は、街から消えていきます。

 

2019年(令和元年)、蒲田の街にあった最後の映画館「テアトル蒲田」が閉館しました。私も通い、地元出身の女優片桐はいりさんも愛した映画館でした

(2019 年 閉館した蒲田宝塚・テアトル蒲田 筆者撮影)

 

テレビ、ビデオ、DVD、インターネットによる動画配信と、映像作品を楽しむ選択肢が広がり、また、ゲームセンター、カラオケ、インターネットカフェと、街での楽しみ方が多様化してきた時代の変化と解釈されてもしかたありません。

 

3.映画のロケ地、題材 の 街 詳細年不明 ~2020 年 (大正?昭和~令和2年)

 

蒲田の街がロケ地や題名に なった名作も生まれました。

(松竹キネマ蒲田撮影所で、蒲田がロケ地になった最初の作品を調べています)

 

1932年(昭和 7 年) 松竹キネマ蒲田撮影所時代の 小津安二郎監督「大人の 見る繪本 生れてはみたけれど」は、蒲田周辺 、池上線 や 田園調布 がロケ地です。

 

1952年(昭和 27 年)、蒲田の商店街の様子がわかる、井伏鱒二原作「本日休診」 。

 

1956年(昭和 31 年)の小津安二郎監督の「早春」、 1959 年(昭和 34 年)の「おはよう」は、蒲田周辺や六郷土手、1962年(昭和年(昭和37年)最後の作品「秋刀魚の味」にも池上線(石川台駅)が登場します。小津安二郎監督は、戦前、戦後を通じて、蒲田に深いかかわりがあることがわかります。

 

1974年(昭和年(昭和4949年)蒲田電車庫年)蒲田電車庫のシーンのシーンから始まる松本清張原作「砂の器」も蒲田の街が印象的に残る作品でした。

(「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」「砂の器」 のロケ地になった蒲田電車庫 筆者撮影)

 

1982年(昭和 57 年)、つかこうへい原作、深作欣二監督「蒲田行進曲」。

題名だけが蒲田ですが、映画の大ヒットで、「蒲田行進曲の蒲田ね。」と当時の話題にもなりました。今でも、JR 蒲田駅の音楽としても有名です。

 

最近では、2006 年(平成 18 年)の寺島しのぶ主演の「やわらかい生活」や、2016年(平成 28 年)の「シンゴジラ」 の蒲田の街、破壊シーンは鮮烈でした。2020年(令和 2 年) の蒲田出身の若手女優松林うららさんプロデュースの「蒲田前奏曲」も、蒲田の街を舞台にした意欲作です。

 

4.映画祭 の 街 2013 年~2020 年(平成 25 年~令和 2 年)

 

2013年(平成 25 年)映画好きの有志が蒲田映画祭を立ち上げました。「 願いは、映画の街 蒲田の復活」です。

(第 1 回蒲田映画祭パンフレットより)

 

映画好き有志は、実行委員会を立ち上げて、ゆかりのある松竹映画、トイシネマなど、好きな映画、見たい映画の自主上映を始めました。また、映画を通じ、商店街をはじめ街との連携を展開します。最終 目標は、 2020 年の松竹キネマ蒲田撮影所開設100 周年と定めました。

 

2020年(令和2年)  第 8 回蒲田映画祭は、 コロナ禍の中始まりました。

 

蒲田駅東口の商店街には、開設 1 00 周年を彩る 「 K AMATA LOVES CINEMA 」の100 本の フラッグが はためき、「蒲田行進曲」の音楽が流れました。

 

(蒲田東口商店街に飾られたフラッグ)

 

『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』 の上映を最後 に 、映画祭は、幕を閉じ、実行委員会は 解散しました。

 

日本国内では、今も100 年以上、映画撮影所があり、映画館もあり 今も 100 年以上映画文化を守る街は、京都 の ほか見当たりません。

 

また、京都に比べようのない小さな街「蒲田」に映画 の 文化 があります 。地域にとっても貴重な文化的な資源だと、 私は考えます。

 

映画の街、蒲田の100年をみなさんと共有して、次の100年へ向けて、一緒に考えてみませんか?

 

Cinema Kamata101年目の今年、発表や話し合いの機会をつくりたいと願っています。

 

(蒲田の映画館や、松竹キネマ蒲田撮影所作品の最初の蒲田ロケ地作品などの資料や情報を集めています。情報の提供をお待ちしています。)

(2021.4.22)

 

詳しくは、当研究会の記念誌の担当会員 執筆者や例会の担当発表者 、蒲田映画祭10 年史 の 執筆者 皆さん の原稿 を お 読 みください。

  

 

蒲田モダン研究会10 周年記念誌 ならびに例会発表 より

 

1. 松竹キネマ蒲田撮影所 岡茂光

2. 松竹映画とその時代音楽事情 久保田雅人

3. 異聞 蒲田行進曲 幸田順平

4. 蒲田モダンと京都モダン そして馬込モダン 福野幸雄

5. 「大人の繪本 生まれてはみたけれど」 宮川達雄

6. 大田区町工場 田中隆

7. 蒲田のグランドキャバレー 廣瀬達志

8. やわらかい生活(映画)を通して 米川雅子

9. 名もなく貧しく美しくもないメディアにきちんと対応してくれた蒲田に 関わる人たち 須貝明司

10.80 歳近いいまも映画が好き。その原点は戦後の蒲田映画に始まる 高橋亜紀代

11.例会発表より「映画の黎明期と松竹キネマ」 三橋昭

12.例会発表資料より  蒲田松竹小津安二郎から見る蒲田モダン  鍋谷孝

 

 

蒲田映画祭 10 年史より

 

1. 町に映画のフラッグがはためいた! 栗原洋三

2. 価値ある展示の舞台裏 ~700 枚の手作りパネル~ 岡茂光

3. 蒲田映画祭と自分史 前田 義寛

4. 蒲田だからできたこと 三橋昭

5. 蒲田映画祭を振り返って 森田和馬

6. 新型コロナとの闘い 鈴木啓介 平松翔太郎

7. 蒲田映画祭とともに歩んだ「 TVF 市民ビデオ上映会 」 小林はくどう

8. 第 8 回映画祭を終えて 淵脇久子

9. 蒲田映画祭の思ひ出 松田集

 

※美須 鐄氏資料 川崎駅周辺の変遷 望月 一樹 氏(川崎市市民ミュージアム学芸室長) 会員・宮川達雄氏より提供